若き日に思い立ち、東海道53次600Kmを食料・コンロ・テントを背負いつつテント(ツェルト)を張って野宿をしながら徒歩旅行をしました。
その際、大阪の知人宛に折々の出来事を葉書で送りました。
この葉書、写真とともに当時の旅行記をお届けします。
どこまで進んでも良い、どこで眠っても良い、山あいでは清水の川の中に服ごと入って、服の水洗いと風呂代わりの身体の水浴びを一緒にしたこともあり、自由で開放感にあふれた旅行になりました。(でも担ぐ荷物は13Kg!)
これがきっかけとなり、その後、日本縦断自転車旅行→共産東欧旅行→海外ホームステイ→海外出張&海外駐在で30ヶ国を訪問することになりました。(リヒテンシュタイン・南アフリカ・ペルー・イラン・ロシア等)。このような空間的な幅の広がりが異文化での交渉に陰に陽に生かされていると感じます。
<★以下はその後、ブログに順次掲載しています。初日~>
■旅行記その1(山岳路遭難編): 初日京都~6日目名古屋 (A4 8ページ)
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東海道53次野宿徒歩旅行その1原稿サンプルイメージ
第一日目
・6:30京都三条大橋出発。早朝にも関わらず友人が見送りに来てくれた。
・逢坂山から自然歩道に入ると1時間に亘りずっと登り坂。音羽山ののぼりがキツイが途中路傍休憩所というものがあり、わき道に逸れて立ち寄ってみたがイス・テーブル・トイレのみ。それでも座って、ビスケットをつまみ、レモンを齧ると元気が出てきた。
・頂上で次の道への入り口に迷ったときは2人組のおじさんが丁寧に教えてくれた。降りでは4人組の家族に出会ったがこちらの挨拶に気持ちよく応えてくれた。
・降りは一転急降下。足指が靴に押し付けられ小指に水ぶくれが出来たほど。
・杉の林立する道を降る際は、林業のおじさんが車の荷台に乗って行かんか、と誘ってくださったが、自力歩行に拘る私は丁重にお断りした。
・音羽山の後も中くらいのアップダウンが続く。草木が密集しているところは汗だくに、見晴らしが良いところにくると絶景に心が晴れる。日差しは強烈。
・滋賀に抜け、住宅地まで降りてくると自宅横の自動販売機に長いすを用意してくれている家を発見。ここに寝転んでしばし休憩。たまたま家のおじさんがやってきて「ゆっくりしてきや」と声をかけてくれた。
・荷物は13kg。重い。事前の予行演習で近隣のダムで1泊の小旅行をした際は10kgのリュックでテスト。この3kgの差は大きい。
・道に迷った末、ようやく琵琶湖が南の淀川方面に向けて流れ出すところにある瀬田唐橋に到着。
■旅行記その2: 7日目以降 (名古屋~東京)
旅行記その2は作成中です。
その1が面白かった方は、その2もお楽しみください。
■続報 (予定/未定)
・日本縦断自転車旅行3000km
・トルコの結婚式に参加してみた その1(イラスト漫画入り)
・2年後、再度トルコの結婚式に参加してみた その2(イラスト漫画入り)
・中国朱さん一家と合同家族旅行(イラスト漫画入り)
・社会人青春十八切符旅行
では。
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