残りわずかとなった東京への道のりを勇んで歩き始めたのは良いものの、1号線は市街地を抜けると歩道がなくなってしまった。トラックが80Km/hくらいの速度でビュンビュン走るので車道は歩けない。ガードレールの外側の土盛りした斜面をガードレールに掴まりながら歩く。安全な間道を探すが途中で方向が離れていく道ばかり。
この間、道路の左側の斜面を歩いていたが、途中で右側に狭いが舗装した歩道が出現した。
車道を横断したい。でも車はなかなか途切れない。バイパスが合流し車両は多い。数分待ってやっとわずかに途切れた。10Kg超の荷物を背負い、登山用の山靴でドスンドスンと走りながら4車線、中央分離帯を越えて反対側へ。さながら歩兵が交戦中に次の物陰までにリュックを担ぎながら走るといった風でした。
神奈川区を超えて川崎市へ。日本橋までは24kmの道路標示。昼食は、路上でガスボンベとバーナー、コッヘルを使いドライカレーとスープの自炊です。
川崎市の中心部の神社にたどり着いたのは夕方の5時。公園と一体化された近代的神社があったので今夜はここでねるかなあ、と考えていました。
と、ドカタのおっちゃん3人が声を掛けてきた。「土建のバイトの口がある、8千円でよければ食事つき、宿泊所付で泊めてやる」。私の外見はリュックがなければ浮浪者そのもの。服は赤まみれで黒ずみ、ズボンは泥だらけ、ツギだらけ。彼らに事情は説明したが、気に入ってくれたのかいろいろ教えてくれた。
曰く
「川崎は物騒で、この神社でも浮浪者がよくひったくりに遭う。新参者の浮浪者は特に危ない。寝こみを殴られた挙句、時計や財布をブったくられる。あんたのその時計(Gショック)なんか危ないぞ。」
「多摩川の橋の下が、安全だし涼しくていいぞ。自分も金のない時はそこで寝るぞ。川を越えて東京側に行った方が安全。」
そうした。多摩川を超える頃は陽が暮れかかっていた。
橋の下でも、川辺に近い方は草ぼうぼう。蚊も多そう。それでテニスコートくらいの広さの土の部分があったのでそこで寝袋を広げて寝始めた。でも土の部分は歩きやすいので結構人が通るのです。ジョギングや自転車、アベックなど。2時間で6人くらい。
まあ、危害を加えそうな怪しい人はいないし、寝袋だけでザックを枕に寝ようとしていたが、猫なども時々通るので寝つけずに上を眺めるが、巨大な橋の下面しか見えない。
と、30mくらい先の堤防近くの1.5m角くらいのコンクリートの塊の影で2人の男がこそこそこちらを覗いている風なのに気が付いた。こちらが寝付いているかを見極めようとしているようだ。距離と光の加減で私の目が開いているのはわからないようだ。
寝込んで物取りを狙うかっぱらいだろうが、相手2人とこちら1人の争いになるかもしれない、と武器になるものを頭の中で点検する。
長めの折り畳み傘
大きなバックル付のベルト
裸足で寝袋に入っているので、激しい動きは無理だ。
しばらくすると2人組の1人が大きく回り込んで接近する動きを見せた。
「なんか用か!!!」
出来るだけ低い声で、凄みを聞かせて吐き捨てるように短く大声を上げた。
動きが止まる。
しばらくして2人とも各々違う方向にするすると撤退してゆく。
少し待ってからそのあたりを調べたが誰もいなかった。
上の絵のような場所でしたが、逃げた2名が仲間を連れて帰ってくることも考えて、更に川辺の近くのコンクリート橋脚まで移動することにした。ここは堤防側からは陰になる。しかし当初偵察したとおり草が多すぎて蚊が多い。
でも偵察時は浮浪者が寝ていたところ。さすが浮浪者のプロたちは安全エリアを熟知しているのです。
30分ばかり警戒したのち。草の陰に守られて寝入りました。都会の夜は危ないなあ。
Masa
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