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Jarang&Jarang:Masaのこだわり旅日記

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カテゴリー「国内徒歩旅行・自転車旅行」の記事一覧

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東海道53次徒歩旅行 3日目

今回の徒歩旅行の実行に当たり、出発前に近隣の山奥のダム付近で野宿の予行演習をしました。ダム湖を見下ろす高台まで2時間程度歩いて、休憩ベンチがある峠で簡易テント/ツエルトを張って宿泊しました。

<ダムでの予行演習>



車も滅多に通らない場所なので、簡易コンロとアルミ鍋(コッヘル)で携帯食を温めて早々に眠りました。薄い雲がかかり少し霧のような雨が降ったり止んだり。星は見えません。
と、夜中22時過ぎころ、に車が10台ほどがこの場所に集合してきました。ロックをガンガンに掛けています。テントの外を20人くらいがウロウロしています。
テントの中で息をひそめていると、テントのすぐ横で2-3人がたむろして、煙草を吸い始めます。そのうち、シンナーを吸い始めました。襲撃されたら対抗できない状況で緊張しましたが20分ほどで移動してゆきました。

夜の道路沿いは要注意、と強い教訓を得ました。


さて3日目。
雲井駅を出て未舗装路でひと山を2時間掛けて越えます。伊勢廻寺で昼食、インスタントラーメンとオレンジ。この後が大変。新しい小道がたくさんできているのに地図に載っていない。通りがかった人に聞いても方向が異なる。

道に迷ったかな、と思いながら林道を進んでいると、バン、と音がする。しばらくするとやや音が近くなる。更に小山を越えたところで、猟銃の音であることに気が付き、あわてて元来た道を引き返しました。
この後国道まで出てからよく見るとそこは「禁猟区」との標識がある。狩猟区と禁猟区がある地域だったのです。
目標は余野公園。公園まであと少しのドライブインでドカタ姿のおじさんと話が弾む。コーヒーをおごってくれた。

余野公園では、登山姿の人を時々見かけます。大きな木と木の間に簡易テントを張りました。
まったくのオープンエアなので、夜に振った雨による浸水で少し足の方が冷たくなりながら、また数匹の蚊の侵入にも悩まされながら浅くしか眠れない夜でした。





Masa


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東海道53次徒歩旅行 2日目

8月12日。5:20出発。昨晩の家族はまだ寝ている。吊りテントであるシェラフを畳み、カロリーメイトで軽食を済ませ歩きはじめる。

よく眠れ、疲れも取れた。部分的な筋肉痛はあるが歩くペースは速い。

<崖にて>
 
ちなみに担いでいるリュックの中身は写真のものが入っています。13kg。ツエルト、寝袋、アーミーナイフ、携帯コンロや調理用の簡易鍋(コッヘル)、着替え、タオル、携帯食等。


不動寺を目指して山道を進む。参道、という砂利道から分岐した山道を歩いて1時間。道はけもの道のようになってきた。木々が密生し、午前中というのに薄暗い。
道を間違えたのは明らか。1時間戻るのも惜しい。登山家の親戚が言っていた言葉、「山で迷ったら小川を見つけて川沿いに水の中を下るのだ」を思い出し、まず沢を探す。


進むべき方向は東なのでコンパスと川の音を頼りに東に向かう小川沿いに歩きはじめる。木々が更に密生し、沢沿いに歩くことが出来なくなったため、沢の中にざぶざぶ入りこむ。幅は1mあるなしくらい。両側から沢の方向に押し出されるように木々が密生し、木のトンネルを作っている。空気が滞留していて汗が出る出る。

砂地であった川底が岩がちになり、川幅も少し広くなってきたところで、大きな風呂のような場所に水が流れ込み、底から伏流水になって川がなくなった。ここで急に視界が開け、小さな運動場くらいの広さの砂場があった。

砂地の先に伏流水の出口がないか探す。50mほど先に石垣の10m高さのちょっとしたダムがあり、その中段あたりから水が噴き出している。防砂ダムになっているのです。
一旦、元の大浴場のような場所に戻り、お茶を飲んでから、泥だらけ、傷だらけになったシャツ・帽子・靴下を川で洗う。砂で濾過されているので川の水はとてもきれい。
ついでに水浴び。人はおらず道すらない場所なので、裸になって水に浸かる。夏だし汗まみれだったので気持ちがいい。

<天然の大浴場>
  

ここから岩肌の多い景色になり、歩くこと3時間半。
山の間にも切れ目が見えてきて、川の周辺にもゴミが見かけられるようになり、人間がいる気配がしてきた。
ついに民家を発見。木製の電柱も発見。この川は吉祥寺川という名前であることがわかりました。とにかく喉が渇き、ジュースをたくさん飲み、見つけた神社でも水を多量に飲む。

   

ようやく国道に出て結局ほとんど出発点付近に戻る形となった。
4時頃に無人駅の雲井駅に到着。山道を長く歩いたのち、舗装の道路を歩いたことで足のダメージが大きく、早めに休むことにした。

<雲井駅は今でも駅舎は変わっていないようです>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E4%BA%95%E9%A7%85

20:30頃の終電の後に、待合室に簡易吊りテントを張る。(翌朝も始発の前に出発)
夜中には大音響の音楽を鳴り響かせた車が数台、駅舎の前に集合し、しばらくおしゃべりをした後、幸いいなくなった。都会は夜を注意しないと。

<無人駅内でのテントの設営>



Masas

東海道53次徒歩旅行 第1日

あとさきになってしまいましたが、初日の様子は以下の通りです。

第一日目
電車の始発の関係で出発は6:30京都三条大橋。早朝にも関わらず友人が見送りに来てくれた。


まず東に向かい、東海自然歩道に合流。逢坂山から自然歩道に入ると1時間に亘りずっと登り坂。
足がだるくなり、急いでは登れない。

音羽山ののぼりがキツイが途中路傍休憩所というものがあり、わき道に逸れて立ち寄ってみたがイス・テーブル・トイレのみ。それでも座って、ビスケットをつまみ、レモンを齧ると元気が出てきた。

頂上で次の道への入り口に迷ったときは2人組のおじさんが丁寧に教えてくれた。降りでは4人組の家族に出会ったがこちらの挨拶に気持ちよく応えてくれた

降りは一転急降下。足指が靴に押し付けられ小指に水ぶくれが出来たほど。
杉の林立する道を降る際は、林業のおじさんが車の荷台に乗って行かんか、と誘ってくださったが、自力歩行に拘る私は丁重にお断りした。
<こんな感じの林道です>
 


音羽山の後も中くらいのアップダウンが続く。草木が密集しているところは汗だくに、見晴らしが良いところにくると絶景に心が晴れる。日差しは強烈。意外に空気が滞留するところも多く、風がない部分も多い。
<写真より絶景です!!>



滋賀に抜け、住宅地まで降りてくると自宅横の自動販売機に長いすを用意してくれている家を発見。ここに寝転んでしばし休憩。たまたま家のおじさんがやってきて「ゆっくりしてきや」と声をかけてくれた。



荷物は13kg。重い。事前の予行演習で近隣のダムで1泊の小旅行をした際は10kgのリュックでテスト。この3kgの差は大きい。



道に迷った末、ようやく琵琶湖が南の淀川方面に向けて流れ出すところにある瀬田唐橋に到着。

<瀬田唐橋の川岸で休憩>


本日の目標は大戸川のキャンプ場。自然歩道の地図とはズレがあって行きつ戻りつしてしまう。

キャンプ場の場所はオープンなところだったので屋根があるところを探します。
見つけたのはお地蔵さんに大きな屋根が付いたところ。
ここで渓流の水をコッヘルで沸かしてインスタントラーメンを作って夕食にしました。
途中、4人家族が車で山道を通りかかり「ずっと旅行してはんのか?」「頑張りや」などと声を掛けてくれる。



夜は天気が急変し、雷雨、かつ豪雨。
川辺でキャンピングカーで野営していた家族は雨の中大わらわです。ラジオをガンガン鳴らしてうるさい人たちでした。
私は予行演習で雨の大変さを実感していたので、テントを張る場合も屋根の下に張ることが夜の浸水騒ぎを避けるために大切、と理解していたので、経験が生かされました。



Masa





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東海道53次徒歩旅行 最終日

18日目、最終日です。
朝起きると、昨晩の不良中学生らしき二人組のいた辺りを調べてから出発。


あと18km。
品川までは道路沿いにスーパーやコンビニがたくさんあったのに、空腹になり始める9時頃になるとビジネス街に入ってしまい、スーパーが見当たらない。自販機のジュースで空腹を紛らわしつつ、ようやく見つけたコンビニで朝食。

新橋に入ってから、日本橋までが実に長かった。
最初の3日間とこの最後の1時間が精神的には最もつらかった。

途中、2回交番で道を尋ねたが、実に機械的でそっけなかった。身なりが浮浪者風だから?
でも山から帰ってきたような恰好で都会を歩くのは快い。

日本橋に入り、本物の橋にたどり着くまで20分。
到着。
じんわり嬉しくなり、ニヤつく。
着いたら万歳しようとしていたが人通りが多くて、信号の切れ目に1回だけ「バンザイ!」



振り返ると、野宿をしたことはためになったように感じます。
歩いてみたい、と思って実行したこともよかったかな。

着いたらマックシェイクを飲もうと決めていたのでランチタイムで込み合う東京のマクドナルドでビジネスパーソンに交じってシェイクを買いました。



事情であとさきになりますが、前半戦も追々書いてゆきます。



Masa.


東海道53次徒歩旅行 17日目

残りわずかとなった東京への道のりを勇んで歩き始めたのは良いものの、1号線は市街地を抜けると歩道がなくなってしまった。トラックが80Km/hくらいの速度でビュンビュン走るので車道は歩けない。ガードレールの外側の土盛りした斜面をガードレールに掴まりながら歩く。安全な間道を探すが途中で方向が離れていく道ばかり。

この間、道路の左側の斜面を歩いていたが、途中で右側に狭いが舗装した歩道が出現した。
車道を横断したい。でも車はなかなか途切れない。バイパスが合流し車両は多い。数分待ってやっとわずかに途切れた。10Kg超の荷物を背負い、登山用の山靴でドスンドスンと走りながら4車線、中央分離帯を越えて反対側へ。さながら歩兵が交戦中に次の物陰までにリュックを担ぎながら走るといった風でした。

神奈川区を超えて川崎市へ。日本橋までは24kmの道路標示。昼食は、路上でガスボンベとバーナー、コッヘルを使いドライカレーとスープの自炊です。



川崎市の中心部の神社にたどり着いたのは夕方の5時。公園と一体化された近代的神社があったので今夜はここでねるかなあ、と考えていました。

と、ドカタのおっちゃん3人が声を掛けてきた。「土建のバイトの口がある、8千円でよければ食事つき、宿泊所付で泊めてやる」。私の外見はリュックがなければ浮浪者そのもの。服は赤まみれで黒ずみ、ズボンは泥だらけ、ツギだらけ。彼らに事情は説明したが、気に入ってくれたのかいろいろ教えてくれた。

曰く
「川崎は物騒で、この神社でも浮浪者がよくひったくりに遭う。新参者の浮浪者は特に危ない。寝こみを殴られた挙句、時計や財布をブったくられる。あんたのその時計(Gショック)なんか危ないぞ。」
「多摩川の橋の下が、安全だし涼しくていいぞ。自分も金のない時はそこで寝るぞ。川を越えて東京側に行った方が安全。」

そうした。多摩川を超える頃は陽が暮れかかっていた。
  

橋の下でも、川辺に近い方は草ぼうぼう。蚊も多そう。それでテニスコートくらいの広さの土の部分があったのでそこで寝袋を広げて寝始めた。でも土の部分は歩きやすいので結構人が通るのです。ジョギングや自転車、アベックなど。2時間で6人くらい。
まあ、危害を加えそうな怪しい人はいないし、寝袋だけでザックを枕に寝ようとしていたが、猫なども時々通るので寝つけずに上を眺めるが、巨大な橋の下面しか見えない。

と、30mくらい先の堤防近くの1.5m角くらいのコンクリートの塊の影で2人の男がこそこそこちらを覗いている風なのに気が付いた。こちらが寝付いているかを見極めようとしているようだ。距離と光の加減で私の目が開いているのはわからないようだ。

寝込んで物取りを狙うかっぱらいだろうが、相手2人とこちら1人の争いになるかもしれない、と武器になるものを頭の中で点検する。
 長めの折り畳み傘
 大きなバックル付のベルト
裸足で寝袋に入っているので、激しい動きは無理だ。

しばらくすると2人組の1人が大きく回り込んで接近する動きを見せた。

「なんか用か!!!」

出来るだけ低い声で、凄みを聞かせて吐き捨てるように短く大声を上げた。

動きが止まる。

しばらくして2人とも各々違う方向にするすると撤退してゆく。
少し待ってからそのあたりを調べたが誰もいなかった。



上の絵のような場所でしたが、逃げた2名が仲間を連れて帰ってくることも考えて、更に川辺の近くのコンクリート橋脚まで移動することにした。ここは堤防側からは陰になる。しかし当初偵察したとおり草が多すぎて蚊が多い。

でも偵察時は浮浪者が寝ていたところ。さすが浮浪者のプロたちは安全エリアを熟知しているのです。

30分ばかり警戒したのち。草の陰に守られて寝入りました。都会の夜は危ないなあ。


Masa






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東海道53次徒歩旅行 16日目

私はスイカが大好きです。
自由気ままに歩いていると、スイカ1個200円で大玉を売っている。先日はバナナ6本と牛乳1リットルで1時間昼寝をしてしまった。そしてスイカ発見時、直前にラーメンを食べている。

でも欲望が理性に勝るまで5秒。

計画的に半分に切って時間をおいて、半玉ずつ食べることにしました。
ナイフでサイコロ状に切り出して、もりもり食べるのは格別です。



スイカプロジェクトの前のラーメン屋は4時間しか営業していない店。これでやっていけるのは美味いからだ、と予想して入ると、やっぱり美味かった。

途中で40分の休憩を2回も取った。スイカを食べるのにも思いのほか時間を喰ってしまう。
16時頃、交番を見つけたが人がおらず、大きな地図にもそれらしい記載なし。
夕食を買った店で裏手に神社がある、とのことで言ってみると、墓地。供え物の水があり、蚊が多そうだと感じて断念。
更に歩いて、公園はご存じありませんか、と道々で尋ねるが、「ご存知ありません」と返事されるなど難儀しました。

日没前にようやく藤沢市の外れにたどり着きました。しかし寝る場所がない。駐車場など安全上問題がある場所しか見つからず、人通りが多い場所は避けねばならないし。薄暮の中、うろうろ30分程度探し回り、やっとぎりぎり安全圏の場所を見つけました。

小さな公園があり、公園の集会所のようなプレハブでは突然鎖につながれた犬に猛然と吠えつかれて泡を喰いました。この公園の端の竹の資材置き場で、3m弱の竹の上に簡単なトタン屋根が付いています。その下に、バス停にあるような樹脂の長椅子があります。この長椅子の上に寝袋で寝れば仮眠ができる、ということで寝ました。幅が30㎝くらいしかないのでホントに仮眠の繰り返しです。


先ほどのプレハブの中では夜20:30を過ぎても、義太夫のようなものを練習していてうるさかった。また、公園横には車道があり、時折オートバイがバリバリ行って通ります。

Masa





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東海道53次徒歩旅行 15日目

前日の大井川は不調で、水量がとても少なかったです。江戸時代とは大違い。

箱根は登りが4時間、下りも4時間でした。何度も頂上は近い、と思える景色に出会いましたが道が上下にうねっているためでした。でも歌を歌いながら登ると辛くありません。交通量はやたらと少なく、自分の息遣いだけが聞こえています。

登りでは救急車が2台走ってゆきました。たまにバイクが山道をレースのような走りで歩行者(私)をピンに見立ててすれすれに駆け抜けてゆきます。あちこちのカーブでは花が添えてあるので事故も多いのでしょう。

大型トレーラーがいると、全線追い越し禁止の為、その後ろには10台くらい乗用車がつらなっている。
  

旧街道と交差するので木々が茂っていて日差しは和らいでいます。
木陰で一休み。
ドライブインでジュースを買ったが、別の人と自動販売機が同着になり譲らずに先に買うと、後からのその人はもう1本おまけ、が当たっていた。

 


旧街道には甘酒屋が2軒あり、昔ながらの粋な建物でした。甘酒を一杯頂戴しました。


峠にはバイク軍団。信号の青に合わせてレースをやっています。

箱根峠はほとんど平らで台地状になっていました。駐車場でコンロでお湯を沸かし、インスタントラーメンを作り、イワシの缶詰と一緒に食べた。1人おじさんが来て「世界は歩かんのか」。別の人が来て「優雅やなあ」。この二人目の人は、バイク軍団の人たちのことを「テクニックが未熟。ふかしすぎなのは下手な証拠。バイクをパパやママに買ってもらっているくせに。」などと毒づいていました。そして「あなたに本物のゼロヨンを見せてあげる」といってものすごい急発進を見せて、そのまま行ってしまいました。

峠からの下り道はものすごい渋滞。この中を時速4kmで動かない車を追い抜いて行くのは快感。
山を下りると湯本温泉。立派なホテルばかり。

線路伝いに歩いて、途中の駅で寝ようと考えたが、遅くまで電車があり下車する乗客も多いので取りやめ。無人駅とは勝手が異なる。



立体交差の道路下で雨を防いで寝ようとしていると、通りがかりの人から近くに神社があることを教えてもらった。
小田原市について今日もまた神社の軒先でお世話になります。庇をお借りします。
神社で仮眠できる日は簡易テント(ツェルト)を張る必要がなくて樂です。時間の
余裕ができると衣類を洗濯します。川に直接入って身体ごと洗うのが一番楽しくて
涼しいですが、町中ではそのようなこともできず、大人しく水道水で洗います。

洗濯をしているうちに日暮れになり、後は眠るだけ。19時には眠りますから朝は
大体5時頃、日の出と共に目覚めます。


Masa



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東海道53次徒歩旅行 14日目

早朝から歩き始めて朝食の時間に1号線沿いの店でパンと梨を買いました。店のおばさんが、ここで食べて行け、いってリンゴの木箱を椅子代わりに用意してくれました。自分のアーミーナイフで梨の皮を剥き、朝食です。おばさんは熱いお茶を出してくれました。「熱い方が疲れないから」

富士川への最短ルートである1号バイパスでジョギング中の人に新富士川橋のことを聞くと「このあたりで、東京から京都に向かって歩いている人に良く会うよ」と教えてくれました。やる人はやってるなあ!


富士川を越えて沼津へ。富士川超えは徒歩で10分もかかる。

富士山は見えたときは、雲に切り離された山頂がものすごく高い角度で見えて、山頂だけが空に浮いているようだった。写真写真、と荷物を降ろしてカメラを準備するころにはもう山頂が霞んでしまっていた。



500㏄パックがなかったので牛乳1リットルとバナナ6本を一気に食べると1時間昼寝をしてしまったほどです。

明日は箱根超えです。今日はずっと平地で身体への負荷は軽いはずなのですが、変化が少ないために気持ちの上では旅の嬉しさよりノルマ的な辛さの多い一日でした。

神社がたくさんあって今日は楽勝、と思っていると、沼津市内に入ると途端に神社なし状態。
神社はないですか、と通りがかりの人に聞いてみると、1kmほど先にあるとのこと。

神社に到着するとビルに囲まれたところ。社の石段に荷物を広げていると、通りがかった江戸っ子風の会社帰りの方が「神さんの前でなんだ!もっと荷物は端に寄せろ。お参りに来た人がびっくりするやろ」「お父さん、お母さんを大切にしろ」などなど、いろいろ説教をして帰られた。





ズボンには10cm級の穴(裂け目)が2か所。面倒ですが思い切って針と糸で修理しました。陽が落ち切前に寝る場所の目途が付いたので心の余裕ができたのでしょう。クロスステッチで裂け目を塞ぐように応急処置です。

この神社の水は冷たくて美味しい。富士の伏流水かな。

Masa

東海道53次徒歩旅行 13日目

朝は5時の目覚ましで起きられず、ドライブイン内の売店のおじさんに5:30に起こされた。身体がとても重く、朝8時頃、見つけた神社の隅で1時間ほど仮眠。これで身体はすっきり。

13日目は穏やかなお茶畑や農業エリアを歩きます。10㎏の荷物を背負ったままなので疲れはたまっているけれど、自由を謳歌しているって感じ。



午後に住宅地の近くを歩き、少し座って休んでいると「気分が悪いのですか?」と通りかかったおばさんが声を掛けてくれ、冷たい麦茶を頂いてしまいました。この方のお知り合いも、かつて東京から奈良まで歩いたとか。

興津川? 水が少なかった。丘を越えて河を渡って旅らしい日です。



清水市の外れは昔の面影も一部あって嬉しい。



 


午後に入り、3時ころからJRと国道1号が海際の急斜面沿いの狭いエリアを並走。人が歩ける部分がほとんどなくなります。数キロ並走して歩いたところ、海ー歩道①-鉄道ー歩道②ー崖、という順で並走している中で歩道②を歩いていました。歩道②は途中で道がなくなり、鉄道点検用の通路を通るか、数キロ戻って歩道①に行くか、という選択となり、点検通路を進むことにしました。

急に「ボーッ」と巨大な汽笛がなって、汽車が通り過ぎ、そのあとは貨物車両が多量に通り過ぎていきます。音の衝撃にたまげました。接近音がほとんど聞こえなかったので不意を突かれたのです。
鉄道がやってくると、点検通路と車両の間隔は50㎝くらいしか隙間がないところで、落ち着きません。歩けど歩けど平行線で、歩道①の方には渡れません。

そのうち日暮れ。




やっと見つけたお寺の軒下を借りるのは断られました。若いお坊さんに「何でそんなことをしているのか、仕事か、研究か」「宿に泊まらないのはなぜか」と不審顔で尋問されました。

また歩きはじめると、気さくなおじいさんが話しかけてくれました。ところがなんだか会話が成り立たない。自分で話して自分でうけて喜んでいる、という少し変わった人でした。

この人ともわかれて更に行くと神社らしき石段発見。数十段登ったところに幸い神社がありました。この高さ故、国道の喧騒も音が遮断されて何とか雨露を凌ぎながら眠ることができました。
今回ばかりは仮眠の場所がないかと覚悟しました。




Masa





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東海道53次野宿徒歩旅行 12日目

12日目。

早朝から一号線の歩道無しの道を歩かねばなりません。
そしてトラックは大型が多いので車線をはみ出さんばかりのものがすれ違うため、側道すれすれにはみ出してきます。道路には所々追い越し用に1m~2m程度の幅の追い越し区間がある。これを目指して、10㎏超のリックを背負ったまま私は走ります。
あたかも北陸の親不知子知らず海岸のように、トラックの波が引くと待避所から待避所へ走るのです。登り道で見通しが悪く、音でトラック襲来の予兆を感じながらダッシュ。



ブルドーザーを大型トレーラーがけん引、トレーラーは後輪にタイヤが10個もついている巨大車両です。そんなのがビュンビュンと側道が1mはばしかないところを走ります。

途中小道に逸れて(国道381号線) 丘を2時間かけて超え、静岡市へ。山道もあったけれど、今までも2回山道で迷っているので、安全パイで車道を選択。2時間山しか見えない景色を歩いていると、山並みの間から静岡方面の白いコンクリート群が見えた瞬間、その白い輝きが「文明じゃ!」と感じた。

市街に向けた下り道で歩道の幅がほとんどないトンネル超え。歩道はほぼ真っ暗、ぼーっとした仲で別世界のような排ガスまみれだが幻想的なルートを突破。

後に前夜のように24時間ドライブインを発見。神社を探していましたが、何とか仮眠できるところが見つかりありがたい。
寒すぎるクーラーに我慢して3時まではウインドブレーカーで4畳の休憩スペースで仮眠していたが耐えられず、寝袋で寝た。



Masa

東海道53次野宿徒歩旅行 11日目

天竜川の流れは逆流気味です。
一号線はトラックやディーゼルエンジンの音がうるさ過ぎて、車道側の耳に耳栓をする。
地響きを立てて走る大型車両が多い。



昼食はコッヘルと携帯バーナーでインスタントラーメンを道端で作って食べた。
途中の自販機では「お楽しみ」という選択ボタンがあり、試してみた。出てきたのは一番不味そうなジュース。売れ残りを処分するための選択肢だったのだ。

今日はトラック道をひたすら歩くだけ。雨も降った。
今日の宿泊予定地域は山の麓あたり。山裾はお寺がある場合が多いので期待した。周辺の観光案内図にお寺の印があったので探したが見当たらないままに17:30を過ぎる。
バス停が小さな小屋のようになっているところがあり、そこに決めかけたが、トラックが通るたびに轟音がして眠れそうにない。

山越えの前にトラックが立ち寄るための24時間ドライブインに辿り着く。もう真っ暗だし、動く気にもならず、ドライブインで夜更かししよう、と決心。
ここはトラック運転手向けにお風呂の無料サービスがあることを発見。さっそく風呂に入る。
ただ、さすがに洗濯はする訳にはいかなかった。

 

3時間くらい長居をした時点で、気を使って中華そばを頼む。
クーラーが効きすぎていて長袖2枚にウインドブレーカーを着て仮眠。これでも明け方は寒くて、早朝3時には起きだして外に出て身体を温める。真夏なのにホットコーヒーを飲んで体を温める羽目になった。

この時間帯には従業員がすべて代わっていたため、カロリーメイトとジュースを頼んだ。


Masa



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東海道53次野宿徒歩旅行 10日目(子猫の日)

蚊取り線香の偉大さを思い知った。神社裏の軒先があるだけのオープンな場所でテントなしで寝たが、蚊取り線香の火がついている間は蚊が全く来なかった。その後、明け方は蚊の襲来は激しい。

 


浜松市に入る。1号線を大きく離れて県道沿いに進む。



4時間、ずっと真っ直ぐな道を歩くと流石に退屈で耐えられなくなる。必要もないのに、鉄道を挟んだ向かい側の並走する道に、進路を切り替えて歩いたりした。



浜松市内に入ると並木が京都の街並みのように感じた。(写真は撮っていません。)
バナナが11本300円と当時としては破格の安さなのでつい買ってしまった。が、食べきれない。大型リュックを背負い、汚い山男姿で市街地を歩くと自分が異物のような違和感を感じる。

天竜川の近くまで来たところで、神社を見つける。夕方、まだ明るい時分に2人の女の子が生まれたばかりの子猫に水を飲ませていた。うまく飲めずに鼻に入ってくしゃみをしたりしている。目にはまだ目ヤニがついている。触らせてもらうと、子猫の身体は細かく震えていた。

神社の水道をお借りして衣類の洗濯(といっても水洗い)を済ませ暗くなったら直ぐに眠る。

夜に車が止まり懐中電灯の光だけが近づいてきたときは緊張した。管理人さんだった。少し困った風だったが、「火だけは使わないように」とおっしゃって野宿を許してくれた。

夜中の11時頃、猫の声。目が覚めた。夕方の子猫だ。また13kgの荷物を背負い30km以上歩く明日の為に寝ておかねば、と思いつつ、あまりに弱弱しい鳴き声に起き上がった。
膝に乗せて身体を包み込むようにしてやり、シャツとか私の指などを吸わせると鳴き止んだ。これで眠れる。

深夜0時。またミャーミャーと子猫が鳴き始めた。また膝に載せると鳴き止む。しかし今度は膝から降ろすと鳴きだす。
一計を案じて、足裏のマメがつぶれた時用に持ってきていた毛糸の靴下(夏でも必携)で寝床を作ってやった。これで子猫は寝てくれた。

1時。騒がしい。仕方がないので子猫も寝袋に入れてやる。寝返りで踏み殺してはいけない、と神経を使う。まだ歩くのさえぎこちない弱弱しさだ。でも可愛らしくてしかたがない。胸の上に載せて手で支えておいてやるとぐっすり眠りだした。

これで、うつらうつらしていると未明の3時、また騒がしくなってきた。のどの下をさすったり、今までうまくいった方法をすべて試したが駄目。
もしや喉が渇いたか、と水をやるとピチャピチャとよく飲む。
4時頃には蚊取り線香が尽きて、蚊が襲来する。20か所くらい刺された。

(写真の赤丸の部分が子猫)


まだ歩けない子猫を連れて行くのは難しく、手に持って炎天下を連れて行くと熱中症でやられてしまうので連れて行くわけにはいかない。前日の女の子たちが自分たちで飼うつもり、といっていたので任せるしかない、と判断した。




神社のごみ箱から、ポリコップを拾ってきてハサミで切って高さを調整し水を飲みやすくした容器を3つ作り水を入れた。2人の女の子に置手紙「寝床には布か毛糸を敷いて暖かくしてやること。牛乳を1日に何回かに分けて少しずつ与えること」を残して出発の準備を始める。



荷物をリュックに詰め始めると、今まで鳴いていた子猫がちょこんと座り、じっとこちらを見詰めているのがつらかった。たった一晩だか情が移ってしまい、リュックを背負って私が歩き出すと、ミャーミャーと再び鳴きだした子猫の声が耳に残って離れない。



Masa


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東海道53次野宿徒歩旅行 9日目

9日目、5時起きのはずが目覚ましを止めてしまい朝6時半まで寝込んでしまう。昨晩夕食をお世話になった家の方が起こしに来てくださり、朝食をおよばれするという失態となった。

豊橋を経過。トラックの多い一号線をできるだけ避けて旧街道を進む。

昼は街道沿いでアップルバーグというものを食べた。また、道路わきでは道端で梨を売っていて、包帯巻き取り機のようにくるくる回して皮を剥いて売っていたのを買う。1個ほしかったが、傷んでいるからと同じ値段で2個くれた。

静岡県境近くで夕暮れが迫る一方、田畑ばかりで神社や公園、無人駅などがある気配がなく焦る。またガードレールが少ない地域でトラックが多く、危険を避けて歩くのに神経を使う。暗がりの中、ドライブインで焼きそばを食べる。漸く公園とお寺がある場所を見つけて一休み。手洗いの水道で簡単に洗濯を済ませる。

この公園で知り合ったおばあさんが、自宅で夕食とお風呂を戴いた。おばあさんは最初は泊まっていってもいいよ、とおっしゃってくださっていたが、どうも家の方が嫌がっているようで途中から何もおっしゃらなくなった。ご飯とお風呂のお礼を申し上げてお寺の横の軒先を借りて野宿をさせてもらった。屋根があるだけでも夜露を凌げてとても助かる。


 









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東海道53次野宿徒歩旅行 8日目

8日目。早朝、神主さんは居られず、管理人の方に挨拶をして出発。
昨日神主さんから周辺の旧街道について地図を頂いていたので旧街道に沿って歩く。
松並木が続いてきれいに整備されています。



当時真夏の為、毎日ジュースを飲みすぎ胃の調子は良くない。

朝食代わりに自販機でカップヌードルを買ったが、お湯が出ない。自分のコッヘルで湯を沸かして朝食です。

国道一号線と旧街道はたびたび交叉して左右が入れ替わります。
昼食を摂ったどさんこラーメンの店で、気さくなおじさんと同席になりました。
おじさん曰く「長旅には水と塩がいる」。体調がよくないのは塩のせいだ、と自己発見。野菜や果物を多くとることは気を付けていたのですが、塩分は考えていなかった。気温は35℃を越え、8時間歩き続けているので大量の塩分が失われているはず。さっそく、途中の酒屋で食塩を購入。

酒屋のおじさん曰く、「旅で一番つらいのは孤独だ」「知人で昔、東海道53次を口を利かずに歩ききろうとしたが故郷付近を通った時に溜まらず話しかけてしまった」。実感として納得。疲労もあって、涙もろく、人懐こくなっています。

最終的に旧街道は一号線と合流。国道沿いのスーパーでみたらし団子を食べる。
古びた鉄道があるあたりに小さなお寺があり、ここを野宿で当てにしていたが、お寺の外、門の屋根を雨を凌ぐために道路側で間借りすることも断られてしまった。どうしたものか、としばらく歩いて小学校。学校は規則が厳しいから駄目だよね、と思いつつ、時間は17:30.日暮れ前に場所を決めてテントの設営と洗濯等を終えておきたいので、15分以内に寝る場所を決めることにする。

10分進み、石段が崩れ苔むしている小さな寺を発見。簡易テント(ツエルト)を設営していると蚊がじゃんじゃん寄ってきて、今晩は蚊の攻撃で眠れないな、と気が重くなった。

テントの設営中、私は気付いていなかったが横の畑で農作業をしているおばさんがおられた。寺の横の集会所なら泊まっていいよ、とおっしゃってくれた。お言葉に甘える。

(集会所の写真)


このおばさんの家は集会所からすぐ近くにあり、お風呂に入れてくださった。
お茶飲んで行き。ぶどう食べて行き。スイカ食べて行き。とお世話になった。娘2人、息子1人のお子さんで会話がとても多い一家でした。

前日に続き、畳の部屋で寝ることができた。




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東海道53次野宿徒歩旅行 7日目

大学在学中2年の夏に思い立って始めた野宿徒歩旅行の6日目。

8月の夏の暑さを避けて7時にスタート。午前中は前夜の睡眠不足もあり絶不調。強い日差しの中、たどり着いたカレー専門店で水をコップ8杯飲んだ。(当時はCoCo壱番屋の存在を知らず、辛さが選べることに感心。)

 


午後は露店の八百屋でブドウとトマトを買って食べる。露店のおばちゃんは怖そうな人だったが、ばら売りしてくれた上に、オレンジ2個をおまけに付けてくれた。
気温35℃の中を13㎏の荷物を背負って8時間歩くので、発汗による消耗は激しい。オレンジとかレモン、そして塩がありがたい。

次に泊まれそうな候補地として、昼食地点から知立神社まで20Km。夕方に神社にたどり着くと広い神社の為、隅のベンチの上で野宿しようと準備。すると神社の職員の方が「神主さんには連絡しておいた方がよい」と助言をくれました。
(神社はありがたいのです。①スペースが広い ②水道が使わせてもらえる ③不良がたむろしない。)
神主さんに汗まみれの姿で隅のベンチで野宿したい旨を申し入れました。こわもての神主さん、まず神社のパンフレットを私に手渡してクーラー付の部屋に上げて、神社の云われと歴史を説明くださいました。サイダーとお茶も出してくださいました。

そして野外ではなく、屋根とアルミサッシのある来客休憩所を使うことを許可くださいました。コンクリートの床にテーブルが幾つかあり軽食が取れるような場所ですが、一部が畳の間になっていて落ち着くことができました。
「これ以上のサービスはせんからな」といかつい声でおっしゃりながら、ジュースとお茶と新聞を夜に持ってきてくださいました。

 


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以下写真は再掲載ですが、リュックの中身は以下のようなものでした。テント(ツェルト)、コンロ(コッヘル)、寝袋、食糧、等、野宿一式13kg。
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東海道53次野宿徒歩旅行 2日目

5:20出発。渓流沿いにキャンプしていた家族はまだ寝ている。疲れの為に前夜はぐっすり眠れた。
カロリーメイトで腹ごしらえ。快調なピッチで山道をずんずん登る。1時間くらい、上りは時速2km
程度なので、そろそろ地図上では不動寺があるはず。



・不動寺を目指したが林道の三叉路でどうも道を間違えた。道は細まりくねくねに曲がり、うっそうとした小道を進む。戻るか進むか。1時間かけて登ってきた道を戻るのか。

山岳部出身の叔父の言葉「山で迷ったら川沿いに降れ」に従い川の中を歩く。川に沿った道がなく川の中をジャブジャブあるくしかないのだ。山では焦ると命に係わることがこともある、と忠告を受けていたので、最悪は山中で1泊する覚悟をすればよいのだ、と開き直る。

しばらくは小川のような場所を歩くが両側から下草が密生して張り出してきているため、草のトンネルのようになっており湿気がこもり、水の中を歩いているのに上半身は汗だくで進む。
倒木で歩きにくいところは腐った木をへし折り川の中に歩けるスペースを作る。1mしかなかった原生林の中の小川の川幅が少しずつ広くなり、砂地だった川底に岩が混じり始める。


     


・小さな滝のような場所を抜けると、視界が開け、池のようになっていた。その先は伏流となり川は消えてしまう。ここで密生した森の中で蒸し暑さに汗だくの体をさっぱりする為、誰も居ないことを良いことに素っ裸になり池につかる。天然プール。着衣も流水で水洗い。


・さらに降ると伏流の50先は防砂の石垣のミニ堤防があった。この石垣からは透過した水が噴出している。50mの砂のフィルターを通ってきたのだからこの水はおいしいはず、と思い飲んでみた。冷たくておいしい。





・さらに降ると漸く舗装道路が出現。降った川の名前は吉祥寺川、着いたところは新免。どうやらほとんど出発点近くに戻ってしまったらしい。



・近くの神社の管理人らしき人がローリーエースを2個くれた。この山越えの話をいろいろして道を教えてもらった。



・無人駅の雲井駅に16時に到着。山歩きの後の舗装路の硬さに足が参っていたのでこの駅で泊まることに決定。20:30頃の終電の後に待合室にテントを張る。夜は車数台で駅前に不良がたむろし警戒モード。







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■旅行記その1(山岳路遭難編): 初日京都~6日目名古屋  (A4 8ページ)
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東海道53次野宿徒歩旅行その1原稿







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東海道53次600km野宿徒歩旅行 総括

若き日に思い立ち、東海道53次600Kmを食料・コンロ・テントを背負いつつテント(ツェルト)を張って野宿をしながら徒歩旅行をしました。
その際、大阪の知人宛に折々の出来事を葉書で送りました。
この葉書、写真とともに当時の旅行記をお届けします。

どこまで進んでも良い、どこで眠っても良い、山あいでは清水の川の中に服ごと入って、服の水洗いと風呂代わりの身体の水浴びを一緒にしたこともあり、自由で開放感にあふれた旅行になりました。(でも担ぐ荷物は13Kg!)

これがきっかけとなり、その後、日本縦断自転車旅行→共産東欧旅行→海外ホームステイ→海外出張&海外駐在で30ヶ国を訪問することになりました。(リヒテンシュタイン・南アフリカ・ペルー・イラン・ロシア等)。このような空間的な幅の広がりが異文化での交渉に陰に陽に生かされていると感じます。

<★以下はその後、ブログに順次掲載しています。初日~>

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東海道53次野宿徒歩旅行その1原稿サンプルイメージ



第一日目
6:30京都三条大橋出発。早朝にも関わらず友人が見送りに来てくれた。
・逢坂山から自然歩道に入ると1時間に亘りずっと登り坂。音羽山ののぼりがキツイが途中路傍休憩所というものがあり、わき道に逸れて立ち寄ってみたがイス・テーブル・トイレのみ。それでも座って、ビスケットをつまみ、レモンを齧ると元気が出てきた。
・頂上で次の道への入り口に迷ったときは2人組のおじさんが丁寧に教えてくれた。降りでは4人組の家族に出会ったがこちらの挨拶に気持ちよく応えてくれた
・降りは一転急降下。足指が靴に押し付けられ小指に水ぶくれが出来たほど。
・杉の林立する道を降る際は、林業のおじさんが車の荷台に乗って行かんか、と誘ってくださったが、自力歩行に拘る私は丁重にお断りした。
 


・音羽山の後も中くらいのアップダウンが続く。草木が密集しているところは汗だくに、見晴らしが良いところにくると絶景に心が晴れる。日差しは強烈。



・滋賀に抜け、住宅地まで降りてくると自宅横の自動販売機に長いすを用意してくれている家を発見。ここに寝転んでしばし休憩。たまたま家のおじさんがやってきて「ゆっくりしてきや」と声をかけてくれた。



・荷物は13kg。重い。事前の予行演習で近隣のダムで1泊の小旅行をした際は10kgのリュックでテスト。この3kgの差は大きい。



・道に迷った末、ようやく琵琶湖が南の淀川方面に向けて流れ出すところにある瀬田唐橋に到着。




■旅行記その2:  7日目以降 (名古屋~東京)
 旅行記その2は作成中です。





その1が面白かった方は、その2もお楽しみください。



■続報 (予定/未定)
 ・日本縦断自転車旅行3000km
 ・トルコの結婚式に参加してみた その1(イラスト漫画入り)
 ・2年後、再度トルコの結婚式に参加してみた その2(イラスト漫画入り)
 ・中国朱さん一家と合同家族旅行(イラスト漫画入り)
 ・社会人青春十八切符旅行




では。

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